2018年 10月

安田純平さん

2018年10月30日

早いものでもう10月も終わりです。もうすぐお正月が...あっという間ですね。光陰矢の如し。

けれども安田純平さんの3年4か月はとてもとても長かったことと思います。

私達が普通の生活を営む上での3年4か月は、ただ何となく時間が流れて、本当にあっという間なのでしょうけど、

安田純平さんの3年4か月は、1日1日が地獄の中での恐怖の時間の積み重ねで、明日の命があるのか、

否、数分後には命があるのかという生きた心地のしない年月だったことでしょう。

けれども、よくぞ生き延びて、よく無事で帰ってこられました。体が無傷でも

精神面がとても心配でした。帰国されてからも悪夢にうなされることもあるかもしれませんが、

信じて待っていてくださった優しいご家族の温かさで、ゆっくりと時間をかけて、自分自身を取り戻していって下さるよう、

心から願っています。

一人の国民でも危険な目にあっていたのならば、それを助けるのは国家の責務です。

今回の安田純平さんは、フリージャーナリストというお仕事柄、危険を承知でシリアへ入られたのですが、

そこで3年4か月もの間、拘束されたことを「自己責任」という一言で片づけるのは、間違いです。

真実を伝える仕事がどんなに大切な事か。とても尊いお仕事です。

安田純平さん、どうぞゆっくり自分の時間を取り戻して、心が「もう大丈夫」になったなら、

今回見てきたものを私達に教えてください。

生きていてくれてありがとう。

 

子供への虐待は何故多いのか?

2018年10月05日

小学校への登校中、「おはよう。行ってらっしゃい。」と声を掛けられて、「行ってきます。」と挨拶を交わしていました。相手は近所のおじさん、おばさんだったり、或いはしらないひとだったり・・・。けれどもその一言のやり取りだけで、嬉しかったです。「今日も頑張ろう」というエネルギーが沸いていました。夏の炎天下の下校中、水筒は空っぽで、上り坂の上には蜃気楼が見えていて、小学生の私は、友達2人と、無言で重い足を引きずっていました。坂道の途中、右側にあった一軒のお家にポンプ式の井戸がありました。3人の子どもは、何も言わずに井戸へ近づいてポンプを上げたりおろしたりして、冷たい水を飲みました。そのお家に断りもなしで…。けれども、そこのおじさんは、3人をじっと見守ってくれていたのです。いいえ、私達だけでなく、坂道を通る小学生みんなをも見守ってくれていたのです。

先日のニュースで5歳の女の子が、両親へあてた手紙に「許してください。」と必死で綴っていました。虐待の末に亡くなっていった幼い命を思うと、どんなに寂しかったろう、辛かったろう、悲しかったろうと、まだまだ言葉では表せない、いろんな感情が頭をめぐります。

私が幼い頃は先に記したように、親だけではなく、隣近所や他人も子ども達を見守って育ててくれていました。社会情勢や時代が変わった今、子どもだけではなく、親たちも孤独の真っただ中にいるのでしょうか?「誰にも迷惑をかけたくない。」なんて言わずに、電車の中で子供が泣いたら、「すみません。」の一言であやし続けて良いのです。「うるさい。」なんていうわからず屋は無視してください。子供は泣くのが当たり前です。みんなそうやって、大人になっているのです。大人たちももっとおせっかいになったほうが良いと思います。子どもが泣いたら、「抱っこしてあげる。」と、若い母親に手を差し伸べて良いと思います。「関わり合いになりたくない。」なんて言うから若い親たちも遠慮するのです。

小さな命が虐待の末に奪われていくたびに,「児童相談所が悪い。」とかいう意見が出てきますが、私達ができることをできる範囲でやっていければ…と思います。知らない子供にも、挨拶をするとか、近所の子どもの名前を知っておくとか、学年を知っておくとかそんなことから始めても良いと思います。

子どもは宝物です。犬でも猫でも我が子を一生懸命育てます。

「さるべき業縁のもよおさば いかなるふるまいもすべし」 (歎異抄より)